意外と死を受け入れられている

自分が「がん」かもしれない、もう何年も生きられないかもしれないと思ったその日から、「人が死ぬとはなんなのか」ということをずっと考え続けています。

普通は33歳であと5年も生きられないかも!ということが分かったら絶望して何もかもどうでもよくなる人が多いと思います。

33歳といえば普通の人は働きざかりですし、お子さんがいらっしゃる方もいますし、旅行や趣味やらこれからいっぱいやりたいことがあるという人が多いはずです。

そんな時に死ぬかもしれない病気にかかったらショックを受けない方はいないでしょう。

ところが、私が最初にがんかもしれない、もう長くは生きられないかもしれないと分かった時、胸のうちに「ちょっとラッキーじゃないか?」という気持ちがよぎりました。

がんだと診断されるずっと前、高校生くらいの頃から、私は人生の黄金期は10~20代で終わると思っていました。

実際30代になってみるとまだまだ体力もあって全然なんでもできる年代ですが、やはり10~20代の頃の経験とは比べ物になりません。

まぁこれは職業や所属しているコミュニティにもよるのでしょう。

私は専業主婦ですし、今は夫の転勤で出生地とは縁もゆかりもない土地に住んでいます。近所に知人もいません。

唯一趣味でやっているブログ(このブログとは別の)だけは楽しくて生きがいです。

ただこのブログだけを生きがいにして何十年もやっていけるとはとても思えません。

がんと診断される前、「今のままで老いていっていいのだろうか?」という迷いがありました。

しかし、がんで30代のうちに亡くなるのであれば、そういった悩みも消える。何十年も生きることはない。

これはこれでアリなのではないかと思う自分もいるのです。

10~20代のうちにこの世で楽しいと思えるようなことはほとんど経験しました。

苦しいことも乗り越えるために自分なりにがんばり、生きようとしました。

しっかり生きるということが楽しいことをやること、苦しいことに耐えることならば私はちゃんと生きたと言えるのではないでしょうか。

むしろ私は死ぬことよりも身体が老いるほうが怖いです。

身体の自由がきかなくなり、自分がいつもどおり考えられていたことも考えられなくなり、誰かに介護をしてもらわないとやっていけなくなるなんて。

しかもそれがみんな当たり前のようにくるなんて…

まぁ身体の自由がきかなくなったり自分がいつもどおりのことを考えられなくなるのは「がん」でもそうなる可能性があるのですけどね。

そんなわけで、受け取る人によっては絶望ワードである「がんステージ4です、転移あります、5年生存率は40%です」という言葉も、私はある意味救いともとれたのです。

結局は、私がうだうだ考えていてもしょうがなく、やれることをやってあらかじめ決められている寿命を待つだけなのですけどね…

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